第2回 南海道放送?(UP03.04.10)
参考資料『四国放送50年のあゆみ』
お待たせしました。第2回です。今回も、徳島の放送事情にまつわる話です。
JRTラジオを聞いていると、地方の県域ラジオとしては、県外リスナーの多さ
に驚かされると思います。特に、和歌山県のリスナーは、おそらく全JRT
リスナーの30パーセントはいるんじゃないかと思うくらい多いです。それは
いったいどうしてか?和歌山県には県域メディアとしてテレビのWTVとラジオの
WBSがあるのにです。実は、こんな事情があったからなんです。
WBS(開局しばらくの略称はWBC)和歌山放送の開局は1959年4月。
いっぽうのJRT四国放送の開局は7年も早い1952年7月。この間、
和歌山県のメディアとしてもJRTラジオは機能していたのです。紀伊水道
を隔ててはいるものの、電波を遮るものがほとんど無く、和歌山市内はもちろん、
和歌山県の中部くらいまではよく入ります。そのため、当時のJRTは和歌山にも
支局を置き、和歌山のスタジオで収録した番組や、和歌山市内での公開録音、
和歌山の広報番組などを放送していたようです。当時はきちんとした『県域放送』
と言うものでは必ずしも無く、京都・滋賀のKBS京都、山陰エリアの山陰放送、
長崎・佐賀の長崎放送など、2県にまたがるラジオ局はありました。しかし、
JRTの場合は徳島は四国の管轄、和歌山は近畿の管轄のため、JRTが
和歌山から電波を発信することはできずにいました。そこで、『南海道放送』
という別会社を興して和歌山県域局として申請をしたのでした。しかし、申請は
より和歌山資本の現在のWBSのほうに認められ、この計画は結局失敗に
終わりました。その後も、テレビのほうは、WTVの開局や、在阪広域局
が和歌山にUHFの中継局を建てるまで和歌山のメディアとして機能していたよう
です。(参考資料の中に当時の番組として『和歌山県知事選挙開票速報』や、
『徳島・和歌山県知事対談』などが見受けられた。)そのことが、今も和歌山で
JRTが受け入れられている一因となっているようです。そうでないと、昨年
JRTのある番組のイベントが和歌山で行われるようなことは無いですからね。
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